輪るピングドラム13話、「僕と君の罪と罰」。
話はあまり進まなかったが、全体のテーマがようやく見えてきた回。
一番の衝撃は最後の苹果の「私は運命って言葉が好き」云々という台詞で、
2話で同じ台詞を聞いたときはヤバイ人の台詞にしか思えなかったのに、
状況が違えばここまで肯定的に聞こえる言葉になるのかとビックリした!
この台詞を含めて、「運命の肯定」というメッセージ性が明らかになった、
そんな回だったように自分には感じられた。…あんまし自信ないけど…
眞悧と桃果決められた運命を否定するのが眞悧、肯定するのが桃果という印象を受けた。
ちょっと根拠が入り組んでいるので、話をいくつかに分けて考えてみる。
1.16年前、眞悧の前に現れた少女時期的に見ても、見た目からしても、眞悧の前に現れたのは桃果だろう。
2.眞悧の思想もしかすると、運命を操る能力も兼ね備えているのかもしれないが、
基本的には彼自身が今回言っていた通り、「世界中の『助けて』という声が
聞こえる」というのが彼の能力の本質なんだろうと思う。
「世界の進む
べき方向も見えていた」ということだから、その声に応えて、
世界を変えたいと願ったというのが、彼の思想なんじゃないだろうか。
3.桃果の思想これは確定的なことは何も無いのだけれども、桃果の影響を受けた人々、
つまり多蕗と苹果の思想から察するに、運命を肯定していたんじゃないかと。
今回多蕗が苹果に言ったこと、そして最後の苹果のモノローグにもある通り、
「どんな辛いことにも意味はある。人生に無駄なことなんて一つもない」
一言で言うと、「運命が好き」というのが彼女の思想だったんじゃないかと。
…以上をまとめると、「世界は変わるべきである」というのが眞悧の主張、
そして「世界はそのままでも素晴らしい」というのが桃果の主張なのだろう。
眞悧が桃果と出会ってすぐに桃果の考えを察したのは、彼女が自分が
死んでしまったにも関わらず、悲しみを見せなかったからなのかもしれない。
不謹慎さとメッセージ性上のように考えると、馬鹿げた話である。監督はサリン事件を持ち出して、
その被害者に「世界はそのままでも素晴らしい」と言わせているのである。
被害にあった人がそんな風に思うわけないだろう。何とも不謹慎。
実際、気分を害したからもう観ない、とブログに書いていた人も知っている。
例えば夕方に放送していれば、苦情が来て即打ち切りになっていただろう。
…ただ、それでも彼には伝えたい「メッセージ」があるんだろうと思う。
失敗すれば大バッシングだろう。ドキュメンタリーなどならまだしも、
この作品は「所詮アニメ」、真面目なメッセージを伝えられるわけがない、
という批判もあることだろう。監督もそれくらい分かっているはずである。
それでも彼は、それを伝えたい、そして伝えられると信じているからこそ、
この作品を作ったんだろう。そのメッセージをどう伝えるのかは見えないし、
正直、どう伝えようと「不謹慎さ」を乗り越えられない感じもするのだが、
自分はその「愚かな挑戦」を見守っていきたいと思う。
次回、…予告の苹果の台詞がネガティブに聞こえるのだけれども…
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